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勉強だけではない

アメリカの大学

入試基準

学歴と学力は正比例?

自慢するわけではありませんが、私はマサチューセッツ工科大学のスローン経営学大学院(MITSloan School of Management)で修士号(Master of Science in Management, concetration in Finance)を取りました。

 

そんな学歴を聞くと、日本の受験勉強を勝ち抜いてきた人々はさぞかし私のことを、もの凄~~くお勉強ができて成績優秀、頭脳明晰、超頭が良くて、偏差値が高い秀才・・・と想像されるかもしれません。

 

でも、謙遜するわけではありませんが、私はいたって平凡で、それほど勉強が出来るわけではありません。

 

うちの母親はいつも「アメリカって面白いわね。優秀な順にいい学校に入れるんだったら、あんたがMITに入れるわけないもんね」と言っています。まさにその通りで、だから日本と違ってアメリカは面白いんです。

 

では何故、私のような凡人がそんな凄~い、超有名学校に入れたのでしょうか?

勉強だけが選考基準ではない

それは、アメリカの大学の入試選考基準が勉強だけではないからです。大学院への進学に必要な統一テスト(GMAT)はありますが、それらは日本で教育を受けた人には超簡単なシロモノです。算数の文章題などは、文系の私が英語で受けも何とかなる程度です。だから統一テストなどは、日本人で然るべき大学に入れるくらいの学力があれば、出来て当たり前なので、選抜や差別化の基準にはならないんです。

 

では、他に何を見るかというと、それは「いろいろ」です皆さんもご存知のようにブッシュ元大統領はハーバードのMBAですね。ハーバード大学は、有名な家庭の子弟や多額の寄付金を払ってくれる生徒を優先的に入学させると公言していました。かつては大学も経営的な配慮から学費をちゃんと払えるようにと経済的な面を入試の際に考慮していましたが、所得格差が学歴格差につながるという危惧から、「優秀な学生はお金の心配無用」にするため、学費支援の必要性で判断してはならないとする、Need-blind Admissionが法制化されました。

 

また、ご両親や親戚縁者に卒業生がいる場合は優先されるレガシー・アドミッション(Legacy Admission)という枠もあります。ブッシュ前大統領が優秀かどうかはさておき、有名な家庭のご出身であることは明らかでしょう。また、ゴア元副大統領のお子さんも皆さん(全員かどうか知りませんが)ハーバードを卒業されています。私のは有名な家庭の出身でも大富豪の娘で寄付金を払ったわけでもないのですが、やはり女性であることが有利に働いたでしょう。

 

多様性を重視

私が留学した頃、MBA上位校の日本人枠は、寄付金で冠講座を持つ大企業や国費の派遣留学生(ほぼ男性)に占められていました。ある企業派遣の同級生には、「あなたは女性だからMITに入れたんでしょう。慶應の文学部じゃ、男だったらうちの会社じゃ支店営業ですよ」と言われました。確かに、経営学大学院(ビジネススクール)に限らず、アメリカの大学や大学院はそれぞれ、学生の属性(性別・人種・出身地など)に多様性を持たせるため、なるべく毛色の変わった生徒を取り混ぜて入学させる方針があります。

 

その方が似たようなバックグラウンドの学生に偏るより、いろいろな人がいて、様々な違う立場からの意見が刺激になり、授業や学生生活が活性化するという考えに基づいているのです。また私の留学前の職務経験が外資系企業だったこと、英語を使う職場にいたので英会話(当時は学部長がが来日して面接をしました)が他の日本人受験者と比べやや流暢だったこと、学部での専攻が人文科学系だったことなども、ビジネススクールとはいえ理系の出願者が多いMITでは有利だったのでしょう。

 

数年前、スタンフォード大学の名誉教授である青木昌彦氏が日経新聞の「私の履歴書」で入学者を選考するにあたり学業成績などあまり関係なく、最も重要なのはエッセイで志望動機が明確に伝わってくることだという主旨を書いていらっしゃいました。私は昔から書いた文章を褒められることがあり(あまり言いたくないのですが文学賞の受賞歴もあるんです・・・)、志望動機のエッセイはかなり気合を入れて書いたので、やはりそれは評価されたのではないでしょうか。勉強および点数だけの偏差値序列でない、多角的な選考基準のお陰で私は超難関大学に入れたわけです。だから学歴と学力が正比例しているわけではなく・・・(私の場合は、ですが)。

 

偏差値序列主義の行方は・・・?

それから数年後、「女性だから・・・」と言った日本人同級生の会社は自主廃業しました。偏差値序列では上位の「優秀な」人たちが経営していたでしょうに、ねぇ・・・。今は多少、変化しているかもしれませんが、私が受けた日本の管理教育は、標準化された学力テストの点数順でしか学力が測れない上、その標準テストの質も大いに疑問です・・・。その同級生は30歳目前の卒業に向けて就職活動をしている私を横目に、「普通、30歳になったら自分のキャリアが決っていなければいけないもんだ」ともおっしゃていましたが、その方も30歳過ぎて資格試験を受け、キャリア・チェンジしたそうです。日本企業は「普通」なら、偏差値序列で優秀な順に偉くなれるはず、だったでしょうに、ねぇ・・・。

 

私は合格実績皆無の無名県立高校だったので、出身高校や内申書(お恥ずかしながら遅刻・無断欠席の常習者でした)に関係なく、一発試験だけで合格させてくれる日本の大学受験はとてもフェアだと思っていましたが、実際は日本の大学も外からの受験で入った人ばかりでなく、他にいろんな方法があるのだと後から知り・・・。

 

日本の偏差値序列や管理教育も、画一的な規格に合った人間を大量生産する必要があった時代はそれなりに機能したでしょうが、独創性や自主性、柔軟な思考を欠如させることは、多くの方々が認識されているでしょう。昨今の日本社会の閉塞感は、教育や就職での点数序列主義と、多様性を受け入れる寛容さが足りない閉鎖性に起因するのではないでしょうか。全ての面でアメリカが優れているのではないにせよ、多角的な入試選考基準に見られるように、多様性を重視する姿勢は見習うべきだと私は思います。最近はCSRの観点から多様性(ダイバーシティ)を謳う企業も出ていますが、その重要性を本当に理解し、多角的な評価が出来る人材が育ちにくいことが根本的な問題でしょう。

 

私自身、日本だけにいて、日本人とだけしか知り合わなかったら今とは全く違う人生になったでしょう。自分の経験から日本人以外の人たちとの関わりによって視野が広がると実感しているので、微力ながら人材のグローバル化に貢献して行きたいと考えています。

 

©株式会社ライフワーク・アドバンス・代表 岡田ひろみ

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