小渕優子大臣の辞任に見る、数合わせの女性登用による弊害
女性の活躍を謳った数合わせ愚策の典型 小渕経済産業担当大臣が自身の政治団体の不明瞭な収支に関する責任を追及され、辞任すると報じられています。たかだか数千万・数百万の収支さえ帳尻が合わず、自分で把握していないと言い逃れしようとする人が、経済産業担当大臣なんて肩書を持つこと自体、民間企業人の感覚では片腹痛い限りですが・・・。 一方で、現政権が掲げる「女性の活躍」の看板を背負った小渕氏の不祥事は、安直な数合わせの弊害であることは間違いありません。
世襲が必ずしも悪いとは言えないが・・・ もともと小渕氏はお父上の死去に伴い、後継者として国会議員になった二世議員ですが、元首相の娘という看板により、少子化担当大臣など重要なポストをあてがわれてきました。 偉大なご先祖やご家族の影響を受けて育ち、ポストが人を育てる面もあるので、一概に二世や御曹司・ご令嬢はダメだと言うわけではないでしょう。政治家に限らず、芸能人でも職人でも、家業を見て育ち、一族にその分野で秀でた業績を残した方がいらっしゃるご家庭の出身者は、異分野家系の出身者より一日の長がある場合も少なくありません。 善悪はともかく、政治でも実業界でもこの手の不透明な資金のやり繰りはあるでしょうが、これほどボロが出たのはワキが甘かったのでしょう。もしかしたら小渕氏が「女性だから」、周囲があまり期待せず、政治家として「足元を固める」作業をしっかりして来なかったのかもしれません。 同じ「元首相」の二世議員でも、小泉進次郎氏は小泉元首相の後継者として周囲の期待も大きいでしょうから、これほど大事に至らないように、自分も周囲もしっかり対策をしているのではないでしょうか。周囲の期待が人材の力量に影響する部分もあるので、「女性だから」とあまり期待されず、そこそこのポストだけ与えられたために、本人もそれに甘んじて成果を上げようとしなかったのではないかと想像してしまいます....。 力量不足の人材登用が弊害なのは女性に限らない 少し前にも若い女性研究者の発見をセンセーショナルに持ち上げて、その発見に疑惑が生じ、指導に当たった人材が自殺に至るという悲劇がありました。これも同様に、「女性だから」と話題性を狙って力量の見合わない人材を登用したことによる弊害でしょう。 周囲の期待や与えられた仕事・役割によって人間の能力は伸びる場合も、反対に抑えられる場合もあります。これまで女性が平等に機会を与えられて来なかったために能力を伸ばす機会を逸していた面もあるので、重要な職務に女性を登用しようとするのはある程度、有効でしょうが、明らかに力量不足の女性を安直に「女性だから」と登用してしまうとこうした弊害が起こります。女性に限らず男性でも、「なんであんな奴が・・・」と思われるような実力不足の人材配置は不公平感を招き、士気の低下につながります。 また「女性だから」あるいは「二世だから」という理由で実力不相応の地位に就いてしまうと、自らその地位にふさわしい実力をつける必要もなくなってしまい、本人も成長機会を逸してしまいます。 安直な数合わせより意識を改革せよ 働くからには、誰しも実力や成果に応じて公正に評価されたいと願い、やがて報われると期待するから頑張れるのではないでしょうか。女性がこれまで社会で懸命に働いて評価されようと頑張らなかったのは、能力を伸ばしたところで男性と同じように評価されなかったからです。どうせ頑張っても得られる経済的報酬も地位も平等でないなら、馬鹿らしくて懸命に働こうとするわけがありません。 先進諸国の中で女性の活躍がひどく遅れているのは、女性に然るべき動機づけがなかったことも一因です。そしてその根本的な原因は、「結婚しろ」発言がセクハラと認識されただけでも進歩といえるくらい、日本社会の男性の意識の低さにあります。 だからセクハラ発言を揉み消すような人たちがいくら女性の活躍だの、女性管理職比率の数値目標だのと言ったところで猿真似に過ぎず効果はありません。安易な数合わせで企業に負担を強制したり、実力不足の人材登用で混乱を招くより、社会全体、特に日本人男性の意識改革が先決です。 株式会社ライフワーク・アドバンス代表